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生 江 の あ ゆ み (2)
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生江の取り組み
こうした住宅や生活道路、公共施設の整備は大阪市内のすべての同和地区において進められましたが、生江地区独自の、特色ある取り組みも進められてきました。
●生江同和教育推進協議会(現「いくえ人権教育ネットワーク」)の結成
厳しい部落差別の生活状況の中にあって、子どもたちも教師の冷たい視線に曝され、教育から阻害されていました。学校に行くこともできない子どもたちもたくさんいました。
1973年、地区の子どもたちが通う学校の林間学校で、「あんたら部落やから、冷たい水風呂でええ」という差別発言があり、糾弾会が開かれています。また、1980年には、生江解放会館(現「生江人権文化センター」)の入り口に、見るに耐えない悪質な差別落書きが発見されました。こうした事件をふまえ、地区はもとより各学校のPTAにおいても、精力的に人権啓発活動に取り組むことが確認され、取り組みが進められました。そして、1984年に、一人ひとりの子どもの、基本的人権の保障を基底に据えた教育の創造と、地域住民の連携強化を目指し、「生江同和教育推進協議会」が結成されました。
2003年には名称を「いくえ人権教育ネットワーク」と改め、5つの専門部会を中心に、子どもたちの教育の保障と広く人権をテーマにした教育活動に取り組んでいます。
●知的障害児の高校入学の取り組み
2006年4月から大阪府立高校9校、大阪市立高校2校で「知的障害」児の高校受け入れが本格実施になりました。しかし、ここに至るまでには長い運動の歴史がありました。
1981年、当時中学2年生だった知的障害をもつMさんが、「私も桜宮高校へ行きたい!」とお母さんに訴えました。お父さんは最初、「そんなん無理や!」と聞き入れませんでしたが、Mさんの強い気持ちを知って行動を起こしました。そして、生江支部や地域の支援のもと1982年1月に「旭区「障害」児の公立高校入学を実現する会」が結成され、教育委員会と何度も話し合いを重ねました。「選抜制度(入学試験)」を盾になかなか聞き入れられませんでしたが、地域や中学校の仲間のサポートもあり1983年4月、条件つきで「交流生」としてMさんは桜宮高校へ行くことになりました。校門はくぐるのですが別室で小1時間、ボランティアで先生が教えるというだけの交流生でした。
こうしてスタートした知的障害児の高校入学ですが、その後2002年度から「知的障害のある生徒の高等学校の受け入れにかかる調査研究」が桜宮高校で実施され、2006年度からは「大阪府公立高等学校知的障害生徒自立支援コース」として制度化されました。
●社会福祉法人「リベルタ」の設立
リベルタの設立には、地区の思いが込められています。
以前、地区に重度の障害をもった人がいました。その人は、地区の障害者施設「光生園」でサービスを受けていましたが、ある時、介護の中心であった家族の方が亡くなり、やむなくその人は遠くの施設に入所せざるをえなくなりました。その時の別れの辛さが忘れられず、地区の福祉は地区自身でやっていこうと決意し、1998年に社会福祉法人が設立されました。リベルタという名前は、部落解放への願いも込めて、「自由」(リバティ)という意味をもっています。
現在、リベルタは、特別養護老人ホーム「白寿荘」、在宅サービスステーション「翠」、大阪市立生江障害者会館「光生園」を運営するとともに配食サービスも実施し、発足の趣旨である地域福祉の大きな担い手としての役割を果たしています。
●生江地区防災会議
生江地区防災会議は、阪神・淡路大震災からちょうど10年がたった、2005年に発足しました。「自分たちのまちは、自分たちでまもる」を合言葉に、普段から防災意識を高め、もしものときには、お互いに声をかけあおう、高齢者や障害者など、避難が困難と思われる世帯を地域で守ろう、というものです。
地区の施設関係者、自治会、高齢者いきがいワーカーズ・イナの会などを中心に、防災マニュアルの作成、阿倍野防災センターでの研修、備蓄物資などの整備、救急救命講習会の実施などを通して、日々、災害への備えに取り組んでいます。
●城北公園活性化委員会
城北公園は大阪市内でもかなり大きな公園で、4月には公園一体に桜が咲きほこります。園内には菖蒲園があり、6月には大阪府内外から10万人もの人びとが訪れます。
地区では、部落差別をなくすために、また、地区内外の交流をはかるために、この公園を有効活用できないかと検討を進めてきました。そして、「城北公園活性化委員会」を立ち上げ、取り組んできました。その結果、子どものための遊具や園内のオブジェ、また小さいながらも野外音楽堂ができました。
活性化委員会ができたきっかけは今から30年ほど前のことです。ある時、地域の障害者団体の代表の方が来られ、話をしました。そして、城北公園に散歩に行こうと言われ、一緒に公園に行きました。代表の方は車椅子だったのですが、公園の入り口は車止めのバリカーが設置してあって車椅子では入ることができません。また、中に入ると砂利が敷き詰めてあり、車椅子では自由に動き回れません。
このことを発端として城北公園を、誰もが利用できる場所、そして地区内外の人が利用できるようにし、差別解消に向けて取り組んでいこうということで活性化委員会ができたのです。現在は、車椅子でも自由に動き回れるようにということで、グリーンベルトという舗装された道ができています。
●千人塚と平和観音像
城北公園の北、淀川の堤防の一角に千人塚があります。
1945年6月7日の大阪大空襲では、生江周辺でも千数百人の方が犠牲になりました。その方々を弔うために立てられたのがこの千人塚です。毎年6月7日には遺族会の方々を中心に慰霊祭がもたれ、二度と戦争を起こしてはならないとの誓いを新たにされています。
また、特別養護老人ホーム「白寿荘」の近くに観音像が建立されています。平和観音像と言います。大阪大空襲で亡くなられた生江地区の方々を弔うために設置されたものです。観音像の横には、亡くなられた方々の中で名前のわかっている人たち44名の墓碑が刻まれています。
戦争は最大の差別と言われますが、千人塚も平和観音像も平和の大切さを地域の中に根付かせ、つなげていくための大切な場所になっています。
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