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生 江 の あ ゆ み (1)
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1960年頃の生江の様子
人権文化センターの1階ロビーに、1960年頃の生江地区の写真があります。当時、生江地区には、770世帯・2,200人あまりの人が住んでいました。その頃の旭区の人口密度のおよそ1.5倍という過密な状況でした。
幹線道路から一歩入ると、狭い路地の両側に狭い木造の長屋が軒を連ねていました。人びとは、炊事、洗濯、洗面などを、路地の一角にあった共同水道で行っていました。便所も共同で、十数世帯が共同で使用していました。中には電気が通っていない共同便所もあり、雨の夜には傘をさし、前にローソクをつけて用を足していました。こうした路地は、簡易舗装されている所もありましたが、排水設備はありませんでした。舗装が破れ、梅雨どきに大雨が降ると共同トイレの汚水が浮いてきて、共同水道も使えなくなりました。また、路地の多くはゆきどまりになっていて、火事などの緊急の時には消火栓もなく、消防車も入れない状態でした。
第2次世界大戦の後、焼け野原であった日本はどんどん復興していきましたが、被差別部落はそういった流れから取り残されました。その結果、部落の生活状況つまり現象面と、
以前から存在した部落に対する偏見が合わさって、差別意識が再生産されていったわけです。近隣の人たちから、「生江は汚い」とか「くさい」とか言われ、辛い差別を受けてきた人もたくさんいました。
同和対策事業の推進
1960年代は部落解放運動が大きく高揚した時期です。「部落差別をなくせ!」「部落差別があるから辛い生活を強いられるのだ」「部落差別を存続させてきた差別行政を糾せ!」と、差別をなくすための法律、政策を求める運動が起こり、国会に対する請願行動が行われました。あわせて地域の行政、生江の場合ですと大阪市に対する行政闘争が行われました。そうした取り組みの結果、1965年8月に内閣同和対策審議会答申(以下、「同対審答申」)が出されました。
同対審答申は、部落に対する偏見と生活状況について、こう指摘しています。「心理的差別と実態的差別とは相互に因果関係を保ち相互に作用しあっている。すなわち、心理的差別が原因となって実態的差別をつくり、反面では実態的差別が原因となって心理的差別を助長する。」
この悪循環の構造を断ち切るために、4年後の1969年、同和対策事業特別措置法(以下、「特措法」)が施行されました。これにより、同和地区を対象として、生活環境の改善、中小企業の振興や雇用促進、社会福祉および公衆衛生の向上など、さまざまな施策が実施されることになりました。
住宅要求と建設
「せめて人並みの家に住みたい」というのが、地区の人びとにとっての長年の念願でした。生江では、住宅改良法にもとづいて1960年に最初の市営住宅が建設されました。住民は、それまで住んでいたところを一時立ち退き、鉄筋住宅が完成するまで、プレハブの住宅に移り住みました。また、地区内での住宅用地の確保は困難で、地区外の高殿や赤川にも建設せざるをえませんでした。
最初にできた公営住宅(1,2号館)は、6畳・4畳半・3畳、そして小さな台所が1つという間取りで、内風呂もなく、いまから思うとかなり狭いものですが、地区の人びとにとっては6畳一間の長屋生活から変わったわけですから、できた当初はたいへん喜ばれました。その後、特措法を根拠として、3,4,5号館、そして6,7号館の建設へと進み、現在は13号館まで建てられています。
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今日的課題としての住宅問題
住宅問題は、今日的にも地区の重要な課題になっています。
2000年の実態調査でも指摘されていますが、大阪市内の同和地区はどこも、公営住宅がほとんどです。生江地区では92.9%の人が公営住宅に住んでいます。その公営住宅が、もともと厳しい生活実態のある同和地区に、さらなる不安定層を吸い込み、安定層を外に出す役割を果たし、大きな問題を生み出しています。
具体的に言いますと、現在の住宅は、一番広い所でも6畳・6畳・4畳半の部屋と台所という間取りで、内風呂もなく、子どもが大きくなるとかなり狭くなります。老朽化も進んでいます。また、現在の公営住宅法では、収入が高くなると出ていかざるを得ませんし、収入に応じて家賃が高くなりますので、経済的にゆとりができれば、マンションや一戸建を買いたいと考えますが、地区の中にそういった住宅はほとんどありません。結果的に、ここ10年で、若い人や相対的に学歴や収入が高い層が、どんどん地区から流出しています。逆に空いた住宅に入ってくる人たちの多くは、高齢者や母子世帯などが多く、また学歴や収入が相対的に低い人たちです。
地区の高齢化、貧困化が進みますと、これが部落への偏見や差別を再生産していく危険があるのです。さらに、社会的にしんどい層が一か所に集中することは、まちのセーフティネットを危機的な状態にします。一番わかりやすい例が災害です。隣近所が高齢者ばかりでは、お互いに助け合うことも難しくなります。ですから、大人も子どもも、単身者も大家族も、誰もが住み続けられるまちづくりという視点で、多様な住環境が整備されることが非常に重要となるのです。
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公共施設の整備
同和対策事業の推進により、住宅や生活道路とともに公共施設の整備がはかられました。地区の拠点施設としての解放会館、青少年の育成・活動の場としての青少年会館、
子育てを支援する保育所、地域医療センターとして開設された診療所、そして衛生面から地区の人びとの健康を守る共同浴場などが整備されました。
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